覚悟と諦めのこと

物語の中で、若い人って「覚悟」したがるというか、「覚悟」するというステップがすごく大事に描かれている。

対して、大人たち。若い人がその背を見るひとたち。このひとたちは「覚悟」よりも「諦め」に焦点が当てられているような気がする。たとえば、若い人たちの「覚悟」を前に、大人たちの方はやろうとしていたことを「諦め」て、若い人たちの考えに乗る、みたいな形。

でもそれって結局「諦める」という「覚悟」をしているんだろう。自分の積み重ねてきた「覚悟」を、どこまで手放せるか、誰かの手にどのくらい委ねられるか、託せるか、自分に問うて、そして「諦め」ているんだ。そうやって、自分を削って削っていきながら、同時に自分のテリトリーにどんどん他人を容れていく。そうして大人たちはぶわっと膨らんでいく。大人の余裕って、こういう膨らんだ部分に若い人が受け入れられるときに感ぜられるものなのだろうか。それでもって、自分一人が戦う時は、自分の手に残って最後まで握りしめてきた「覚悟」で戦う。その時の刃は一振りだけだ。たくさんのふくざつな覚悟を抱えても、それは試される内にどんどん純化されていく。透明になる。そういうのが大人の「覚悟」なんじゃないだろうか。